Dec 22, 2010

レシピがコピー用紙に印刷します

料理レシピをPCで検索して、作ってみたいレシピが発見されると、コピー用紙に印刷します。そのままパソコンを台所にいてみることも良いかもしれないが、キッチンなので、PCに水がかかることを恐れてしまいます。コピー用紙に印刷すると、水がかかっても破損したり、インクがにじむ程度かかりますので、それ以上の使用にも便利です。
家にはデジタルカメラを接続することができるコピー機があります。そのコピー機は、デジタルカメラで撮影したものをインポートしてコピー用紙にコピーするためにも使用されます。コピー用紙にデジタルカメラで撮影した画像を印刷するときは、映像の鮮明なコピー用紙を選択するようにしながら、綺麗に仕上げています。
 24日投票の統一地方選後半戦のうち、翌日開票となった東京都の3特別区長選が25日午前、開票された。このうち国政与野党による対決型となった江東は、現職で自民、公明両党推薦の山崎孝明氏(67)が、元区議で民主などが推した川北直人氏(36)ら2新人を退けて再選を果たした。
 区長選での対決型は24日に開票された台東、世田谷、渋谷を合わせた4区で、民主は各区に新人候補を立てたものの、いずれも敗退した。
 このほか、大田は現職の松原忠義氏(68)が3新人を破り再選。江戸川も現職の多田正見氏(75)が共産系新人との一騎打ちを制して4選を果たした。
 統一選で行われた全13区長選で、新人同士の争いとなった世田谷を除き、現職が全勝する結果となった。 (了)
山崎孝明(やまざき・たかあき)、川北直人(かわきた・なおと)、松原忠義(まつばら・ただよし)、多田正見(ただ・まさみ)

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 JR東日本は25日、東北新幹線の仙台−福島間で運転を再開した。これで仙台−東京間が新幹線で結ばれた。東日本大震災から1カ月半ぶりの運行再開。29日予定の仙台−一ノ関間の再開で、東北新幹線は新青森−東京間の全線が復旧する。

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 昨年12月に全線開通した東北新幹線は、東日本大震災で全線運休となり、東京−那須塩原間や盛岡−新青森間など区間ごとに運行を再開していた。

 仙台−東京間は全席指定の「はやて」、一部指定席の「やまびこ」が1日44往復する。所要時間は最速2時間7分。震災による損傷の修理が終わったばかりの区間では速度を落とすため、震災以前より28分長くなる。3月5日に営業運転を開始したばかりだった「はやぶさ」は、29日から運行する。

 仙台を午前6時2分発の東京行き始発「やまびこ304号」で東京に向かう仙台市青葉区の会社員、三塚博史さん(44)は「震災後は山形空港までバスで行き、飛行機で東京まで行って4、5時間かかった。今日、あらためて新幹線のありがたみを実感しました」と話した。【三村泰揮】


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 24日に投票が行われた統一地方選後半戦で、翌日開票となった東京の3区長選と6区市議選の開票が、25日朝から始まった。

 3区長選は現職と新人との争いになり、いずれも自民と公明の推薦を受けた現職が当選。即日開票分と合わせた13区長選では、現職12人が出馬、全員が当選となった。

 現職と新人計4人の争いになった大田区では、松原忠義氏(68)(無所属=自民、公明推薦)が、前区議など新人3候補を破り、再選を決めた。

 江東区では、山崎孝明氏(67)(無所属=自民、公明推薦)が業界団体の支持も集め、民主、国民新、減税日本推薦の元区議ら2新人の挑戦を大差で退け2期目の当選を果たした。

 江戸川区では、組織力に勝る多田正見氏(75)(無所属=自民、公明推薦)が、共産推薦の新人河合恭一氏(58)を大差で破り、4選を決めた。

 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太君(12)が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。

【被災地で尋ねました】いま、あなたの宝物は何ですか?

 ◇3月11日

 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。

 ◇3月18日

 津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。

 ◇3月23日

 卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。

 ◇3月25日

 親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。

 ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。

 ◇3月26〜27日

 見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。

 ◇3月28日

 きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。

 ◇4月7日

 きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。

 *    *

 箱石君は25日、155人の仲間と一緒に町立山田中学校に入学した。日記は、大沢小の子供たちが復興に立ち向かう様子を紹介する「大沢からの報告」として毎日小学生新聞に11日に掲載。「何回も読み、涙が止まりません。皆様が少しずつでも前に進める日がくることを願っております」(2人の子を持つ東京都北区の女性)とのメールが届くなど大きな反響を呼んだ。「大沢からの報告」は同紙で随時掲載され、次回は5月11日の予定。


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