Jun 01, 2009
飲むならウォーターサーバー
どうせ家で水を飲むと美味しくて品質の良いものを選択したいですね。毎日飲む水、妥協したくないです。だから、今選択は、ウォーターサーバーの水ですね。実際に飲んでいて満足度も高く、健康にも良く、そして何よりも美味しいのはやはりウォーターサーバーですね。いいですね。リークは、経年劣化により建築資材が腐食したり、破損して、剥離などを起こし、発生するのが一般的です。しかし、新築でも施工したり、設計の不備で水漏れを起こすことがあります。さらに、リークが肉眼で発見できればいいのですが、肉眼では見えない内部構造に影響を与えているなら、問題は深刻です。
原発問題の対応に落胆することにも半分慣れてしまったが、米国製汚染浄化システムの配管間違いの記者会見には驚いた。配管ミス自体ではなく、その責任に対する見方についてである。
テレビで見たかぎりであるが、本来閉じている弁を開けてしまったために、汚染水の一部が本来の配管ルートを経由することなく直接出口に向かったという。
記者会見で、「なぜ本来開けるべきではない迂回路への弁を開けたか」という質問に「機器の弁にそう表示があったから」という答えがあった。東電としては、指示通りにしたので責任はメーカーにありとでも言いたそうな発言であった。
弁には大きく2つある。電自弁といって電気式に開け閉めする弁なら、開閉状態は外から判断できないだろうが、画面には管の外側に取っ手の付いた手動の弁が映っていた。手動の弁は、管に対して取っ手を90度で回せば閉まり、平行にすると開くのがごく普通である。
その機器に開閉の逆の表示があったとしても、疑ってみて当たり前だろう。このような非常時の汚染水浄化装置など大量生産されているはずもなく、自ら製品を確認するという考え方は必要である。流水テストをしたように、配管もダブルチェックすべきという考え方があってもよかった。
誤解なきよう、最前線でご苦労をされている従業員を責めているつもりはない。激務で高いプレッシャーもあり、瞬間に表示通りしてしまったのかもしれないが、そのことをどうのと言っているのではない。
問題は、記者会見で「弁の表示が間違っていた」とまるで他人事のように言うことである。東電の調達する製品は、完全であることが当たり前と言わんがごとく、直ぐに他責にするのが問題であり、それに驚愕している。「本来そのような表示ミスは当社も気付くべきであるが、限られた時間での作業だったので、表示を疑わなかった」と自らの責任も認めるべきである。
100%想像でモノを言っているつもりはないが、たぶん東電へ資材や原料を納入する業者は、それなりの品質や納期が求められ、仕様書やマニュアルも相当しっかりしていないと許されない。電力の安定供給を目指している(目指していた?)のだから、資材購入についても信頼性の高いものを要求するというのが当たり前になっていたのだろう。
ところが、精度の高いものに慣れきっているので、逆に有事の対応がうまく行かなかったのではないか。そこで、つい業者の責任だと口に出してしまう。
極めて組織力が高く、平時や安定時の行動には申し分ないのであろうが、有事や事故の際には、逆に応用が利かない。組織を守るコメントも必要なのだろうが、マニュアルが違っているという発言とも聞こえる責任回避は情けない。
●仕組み化、マニュアル化は組織力を高めるが、応用も同様に必要
わたしは、組織を運用するためには仕組み化やマニュアル化をすることは決して悪いことではないと思っているし、むしろそうする部分を増やすことに賛成である。
ただ、仕組み化やマニュアル化「ボケ」はいけない。少なくとも有事には、応用を利かせなくてはいけない。
別の小さな例をあげる。ある日土砂降りの雨のとなったが傘がなく、雨宿りにファストフードチェーン店にわたしは飛び込んだ。
すると女性店員が「いらっしゃいませ〜」とずぶ濡れのわたしを「溢れんばかりの笑顔で」迎えくれた。マニュアルの通りちゃんやるべきことをやっている。しかし、こんなかわいそうな姿をさらけ出しているときに笑顔はないだろう……。
同日夕刻、また雨に降られて濡れて、今度は居酒屋に入った。眉をひそめて「ひどい雨ね。こんな時によく来てくれましたね」と言った女将。状況によっての対応である。
もし、東京電力が新しく生まれ変わるのなら、大組織病・マニュアル化からの時と場合の脱却も考えてほしいものである。
●「坂の上の雲」に見る大企業病
「そこへいくと、日本人は徳川300年のあいだ、わが田を守る百姓根性が骨のずいまで沁みこんでいるうえに、あらゆる意味での冒険を幕府が禁じてきたために、精神の習性としてその要素が薄い。一方、日本人は忠実できめられたいことをよくまもるために、大艦の乗組員にはむいている。戦艦の砲側にあって、上官の五体が飛び、同僚がひきさかれて倒れようとも、水兵たちは持ち場を離れようとしない。が、個人としての勇気や個人としての冒険精神を必要とする駆逐艦の世界は、一見日本人に適っているようで、適っていないのではあるまいか」(『坂の上の雲』、司馬遼太郎、文春文庫)
日本海海戦に先立ち、黄海でロシア海軍と日本海軍が遭遇した。小型の駆逐艦は、敵の戦艦に思い切り近づいて、魚雷を発射しないと当たらない。大波に揺られ、相手もジグザグ航行しているからだ。
駆逐艦からの攻撃不発から学び、艦長の人事異動を含めて大反省をし、その後の日本海海戦でバルチック艦隊を撃破するという成功を迎えたのであった。
自分の過ちを過ちと認める勇気が必要であり、「過ちては改むるにはばかることなかれ」である。自責と他責を踏まえ、失敗を直ぐに改めることを学びたい。【古川裕倫】
(ITmedia エグゼクティブ)
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