Aug 25, 2009

私はデータ復旧知らなかった

家に使用しない場合、または壊れたコンピューターが2デイトダ。時々使用しますが、速度が遅くなってしまい、お蔵入り寸前のものも入れてくれれば、3台である。そのコンピュータは人間に例えると、やたらと後頭部が、カーソルの位置をとるので、何とか処分することができないと考えてきた。しかし処分てしまうと、中に入っているデータはどうなるか考えていた。すると、データ復旧会社がくれると言う。そうか。データ復旧をすれば。新しいコンピュータにデータを移すのか。
レンタルサーバーはどれが一番良い、と言う定義がないため、選ぶのが難しいですよね。レンタルサーバーは、価格のほか、容量の稼働率バックボーンとサーバの収容人数などの機能的な面、サポートのための準備と、ドメインのような見るべきところがたくさんあり​​ます。レンタルサーバーを何を使うかによって、便利に、お得なのは違います。使い方に応じて、納得できるものを選びましょう。
 「第24回県西書展」(県西書人協会主催、毎日新聞さいたま支局など後援)が1日、坂戸市文化会館で始まった=写真。3日まで。
 同協会役員と県西部の書家からの公募新作202点を展示している。会場で、同市立泉小6年の須藤美穂さん(11)は「書いた人の心が伝わってくる作品が多く感動した。私も書道を頑張りたい」と話した。【内田達也】
 主な受賞者は次の通り。(敬称略)
 県知事賞=岸川依水(鶴ケ島市)▽県議会議長賞=吉田篁月(狭山市)▽県教育長賞=半田紅舟(飯能市)▽坂戸市長賞=近藤求(川越市)▽毎日新聞社賞=北畠翠遙(飯能市)

7月2日朝刊

【関連記事】
夢の教室:東京国際大がJFAと協定 笑顔の教室も /埼玉
電力制限:15%に苦心 鋳物業界「厳しいが乗り切る」−−きょうから /埼玉
感謝状:正義の追跡、100メートル 川越署、秀明英光高の2生徒に /埼玉
拾得物:東入間署が燃やす 指紋検出薬品に浸した封筒、アイロンで熱し出火 /埼玉
東日本大震災:淑徳大生が活動報告 「被災地思い、できることを」 /埼玉


 ◇「三陸の郷土資料、世代超え共有を」 気仙沼の梅川さん出店
 東日本大震災で妻を亡くした宮城県気仙沼市の古書店主が、そごう大宮店(さいたま市大宮区)で1日から始まった「大宮古本市」(三省堂書店主催)に出店している。避難先の群馬県中之条町で今月5日にも店を再開させる予定で、「この古本市を足がかりにステップアップしていきたい」と意気込んでいる。
 気仙沼市で古書店「唯書館(ゆいしょかん)」を経営していた梅川忠昭さん(51)。津波で自宅を流され、近くの店舗も天井まで浸水。行方不明になっていた妻文恵さん(46)は、震災の17日後、店内のがれきの中から梅川さんが見つけた。文恵さんとは書店勤務時代に出会い、2人で書店を開いた。「苦労をともにしてきた。優しくて思いやりのある妻でした」
 4月1日に葬儀を終え、次女(14)とともに、受け入れ先の中之条町の元病院宿舎で暮らし始めた。町の助成制度を利用して開店準備を進めている。同業者や知人らから1000冊超の「義援本」も届き、「みなさんの励ましの輪に助けられています」と話す。
 梅川さんは「これからは三陸をキーワードにして郷土資料を集めるつもり。失われたものを世代を超えて共有していきたい」と再出発へ向け夢を語った。
 大宮古本市は、そごう大宮店10階特設会場で31日まで。午前10時〜午後8時。【平川昌範】

7月2日朝刊

【関連記事】
東日本大震災:日本在住の難民がボランティア 陸前高田
東日本大震災:福島でマグロ初水揚げ 高校生ハワイ実習
遊泳場:水質643カ所が「適」 「不適」はゼロ
路線価:震災で市場環境が一変…下落縮小も取引激減
節電:制限初日、東電管内15%減クリア 東北電は21%


 14日告示の知事選に、英文法家の武田信弘氏(57)が1日、無所属での立候補を表明した。知事選への出馬表明は5人目。
 武田氏は神奈川県茅ケ崎市出身。国際基督教大卒業後、電子機器製造会社を経て県立高校教諭を約20年間務めた。07年の鹿児島県議選、埼玉県知事選、昨年の春日部市議選に立候補し落選した。
 会見した武田氏は「地熱発電所の建設や高校入試の改革に取り組みたい」と述べた。選挙前に住所を鹿児島県内から越谷市に移すという。【林奈緒美】

7月2日朝刊

【関連記事】
埼玉県知事選:上田知事が3選出馬を正式表明
ファイル:埼玉県知事選 上田知事が出馬表明
’11埼玉知事選:大嶋氏が出馬表明 /埼玉
’11埼玉知事選:自民県連が上田氏支持 公明県本部も /埼玉
’11埼玉知事選:「日本救うモデル発信」 上田氏、3選出馬正式表明 /埼玉


 新人記者として福島に滞在したのはわずか4年。だが、その間の取材活動で教えられた社会現実は、その後しばらく、私の記者活動に多大な影響を与えた。
 1960年代から70年代、日本は高度成長期。それを支える人もエネルギーも、東京を中核とする大都市部に集められ、福島は主要な供給源だった。典型的な現象は中学を卒業したばかりの新生社会人を送り出す「集団就職列車」であり、冬の農閑期は大都市に職を求める「出稼ぎ」。それと原発だった。
 確か記者2年目の70年3月。「金の卵」と当時もてはやされた中学卒の男女を乗せた集団就職列車に同乗し、ルポを書いた。始発の福島駅のホームは見送る肉親や友人であふれかえっていた。元気のよい会話が続いていたが、列車が動き出し、ホームの人々がかなたに消えると、車内の雰囲気は一変した。これから始まる異郷での生活に不安を感じ、シクシク泣き出す女の子もいた。列車は二本松でも郡山でも同じような光景が繰り返された。
 出稼ぎ家庭を取材したのは73年だった。福島は民謡の宝庫。盆踊りの定番「相馬盆唄」などとともに「新相馬節」は、浜通りを代表する。全国版の日曜ページに連載中の「うたのある現場」で「新相馬節」を描くことになり、旧小高町(現南相馬市)を訪ねた。
 夫は東京の小さな印刷工場の臨時工として出稼ぎ中。残された家族は妻と4人の子どもとバァちゃんだ。妻は耕運機を操作し、春に備える一方、いろりにくべる薪集めにも精を出す。「新相馬節」にこんな一節がある。
 「待つ夜の長さを四五尺つめて 逢(お)うたその夜にのばしたい」「秋の夜寒に針の手とめて 主の安否を思いやる」
 71年3月、東京電力福島第1原子力発電所の1号機は運転を始めた。6号機を除く他の炉も建設中。「豊かなふるさとを」が、原発誘致推進派の合言葉だった。
 しかし、豊かになることを保障したはずの原発は事故を起こし、一向に収束の気配が見えない。周辺住民は故郷を離れ、避難生活を続ける。
 集団就職、出稼ぎ、原発に頼る電力源。支局を離れて数十年、福島からの供給を気に留めることもなかった。大都市型発想に甘んじ、自ら発想の転換を怠ってきた自分が、原発事故で浮き彫りになった。
 「原発、私たちには縁がない」と言い放った出稼ぎ家庭の妻の一言が、思い返される。
 戦国絵巻を伝える「相馬野馬追」。旧小高町では今年も野馬懸が行われる。しかし、大震災で主役の馬が多数死に、会場の確保もままならないため、祭りのハイライト、甲冑(かっちゅう)競馬、神旗争奪戦は行われない。(毎週土曜日掲載)
………………………………………………………………………………………………………
 ■人物略歴
 ◇まつだ・たかかず
 1945年群馬県生まれ。早大卒、69年毎日新聞社入社。福島支局、社会部を経て政治部。論説委員、専門編集委員。09年から「松田喬和の首相番日記」を土曜日に掲載。政治コメンテーターとしてテレビ出演も。著書に「中曽根内閣史」(共著)など。

7月2日朝刊

【関連記事】
福島第1原発:3号機の燃料プール冷却順調 1日45度に
原発耐性試験:米が相互評価を拒否 IAEA提案に
細野原発事故相:就任後初、週末に福島訪問
原発安全協定:37自治体が要請 10キロ圏外にも危機感
玄海原発:佐賀知事、中旬にも再開判断 首相と会談調整


Posted at 12:04 in Price | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.