Sep 30, 2009

62歳でベッドにデビューした姑

姑は、女性特有の病気を再発してしまい、半年ほど前からホルモン治療と抗がん剤治療が開始されています。これまでは全く健康だったのですが、治療のための投薬が強いのには体を起こすのも大変なことがあるとのこと。今まで布団で寝起きしていたが思い切ってベッドを購入しました。布団の生活に慣れていたので、最初は少し違和感を感じたようですが今はついてかなり楽になったよう。ベッドは、若い人よりも高齢者や病気のある人のほうが、むしろ市販しなければならないかもしれません。
今の時代ならば、どの家庭にもソファがあると思いますが、皆さんは座って、そのまま使用していますか?私はどちらかというと、自分のために使用しています。これは、ソファベッドと指摘している人がいると思いますが、ただ座ってソファでも腰を前に頭を乗せて寝ています。もちろんベッドもあるが、思わず疲れて寝てしまいます。睡眠簡単ですね。
 【千葉】国立歴史民俗博物館(歴博、佐倉市、平川南館長)は現代展のパネル展示「米軍基地と戦後沖縄」のサンフランシスコ講和(平和)条約の解説文を是正し、5日に公開を始めた。元の解説文は「沖縄の占領継続は日米両国の政治的外交過程を経てサンフランシスコ講和条約第3条によって決定された」とあったが、同条約で予定された国連の信託統治を米国が提案せぬまま、軍事占領を続けたとする解説文に改めた。
 琉球大学の高嶋伸欣名誉教授らが「基本的事実に反した説明」と、昨年4月に是正を求める要望を提出し、それに歴博が対応した。
 1952年4月28日に発効した講和条約は、3条前半部分で「北緯29度以南の南西諸島などを米国が統治者となる国際連合の信託統治化するようにとの米国の提案に各国が同意する」などと明記している。
 高嶋名誉教授らは「この提案が実行されていれば、米国は国連憲章や世界人権宣言下で沖縄の人々を虫けら扱いできなかった。しかし、72年の施政権返還まで米軍は沖縄で人権侵害の限りを尽くしてきた」と是正を求めていた。
 歴博の是正解説文は「同条約3条前段では、国連が沖縄の信託統治をアメリカにゆだねることが予定されていたが、アメリカから国連に対する『提案』は一度もなされず、日本政府もこれを黙認しつづけた」とした。
 高嶋名誉教授は「3条後半の、提案が可決されるまでの軍事占領を認めるとした暫定措置の規定を米国が悪用したばかりか、国連への提案期限が明示されていない異例の条約だった」と説明し、「要望に答えた解説文に是正され、評価している」と話している。

 昨年、山中湖(山梨県)近くに住む叔母の家を訪れた際、亡くなった叔父の形見分けとして、アンティークの金属ふた付き陶器のビアマグをもらった。昭和16(1941)年12月の真珠湾攻撃の際にホノルル総領事だった叔父の父、喜多長雄が米国から持ち帰ったものだという。

 ドイツ製のビアマグには、中世ヨーロッパの騎士の絵が描かれていた。叔母は「単なる記念品ではなく、これを使って米軍の動きについて情報交換をしていたらしい」と語った。

 叔母が指さしたビアマグの底には1765、7などの数字が刻まれていた。喜多はこれだけではなくいくつものマグの数字を暗号に使って、情報提供者との間で、ひそかに真珠湾に出入りする米海軍の艦船の数についてやりとりをしていたようだ。

 攻撃にあたって、湾内にどれくらい艦船がいるのか、正確な情報を得ることは、日本側にとって非常に重要だった。日米関係は悪化していたため、総領事館の館員らは、当然米政府当局の厳しい監視下にあったことだろう。米軍の動きを探ろうとしても難しかったに違いない。

 真珠湾攻撃前の情報収集というと、総領事館にいた吉川猛夫海軍少尉の活動は知られている。単身赴任していた喜多はホノルルでの出来事を家族に詳しく語ることもなく世を去ったが、本人も独自に情報を集めていたのだろう。

 喜多らは開戦後拘束された。アリゾナに送られた後、しばらくしてから日米の交換船で帰国した。ビアマグは米側に“正体”を見破られることなく、本人の元に戻ってきたようだ。底に刻まれた数字からは、正確な情報を得ようとした喜多の苦労がしのばれる。

 今年は日米開戦70周年にあたる。当時と違い、日米はいま同盟関係にある。今春には菅直人首相が訪米し、日米安保新共同宣言をとりまとめる。この宣言は日米安保条約改定50周年にあたった昨年に発表される予定だったが、鳩山由紀夫前政権が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題で迷走を重ねたこともあり、先送りとなった。

 鳩山氏はすでに政権を去っており、日本側は同盟深化に向けた歩みを遅らせる言い訳を続けることはできない。だが、普天間問題の解決に向けた展望は開けていない。70年前とは比べものにはならないが、今年も日米関係は多難な年になりそうだ。(副編集長 有元隆志)

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 2008年8月に代理母による出産で双子の男の子の父親となったリッキー・マーティンが、次は養子を取るつもりであることを明かした。

 人気歌手として忙しい日々を送っていたリッキーは、2008年8月、女性から卵子の提供を受け、別の女性を代理母として双子の男の子が誕生したことを発表。双子の世話を自身で行うため第一線から退き父親業に専念してきた。今年3月には自身のウェブサイトで自らゲイであることを告白し、その後も、母国プエルトリコで同性婚が認められるまで結婚はしない、と決意を語るなど、プライベートでその確固たる意思を示している。

 双子のマテオくんとバレンティノくんは現在2歳でかわいい盛りだが、CBSの番組に出演したリッキーは、今後、養子を迎え家族を増やす予定があることを語った。番組は、養子縁組の重要性をテーマにした特番で、リッキーは「僕は最初は代理母で子どもを授かったが、次はおそらく養子をとるでしょう」とコメント。「私はここへ、父親として来ています。2万人もの子どもたちが、この企画により恩恵を受けるのです。養子は素晴らしいことです。みなさんもぜひ養子を迎えてほしい」と、熱心に呼びかけた。

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